こんなに心がウキウキとするのは、いつぶりだろう?
昨日の夜から着ていく服を何度も着て鏡の前でファッションショーをして、組み合わせを替えて、ママにどっちがいいかアドバイスを貰ったり。
パパ、ママ、私の満場一致で決まった今日の服は、生成地に淡いベージュのストライプの半袖のスクエアネックのワンピースの下に長袖の立ち襟のブラウス、木綿のペチコートをチラ見せして、レースとチュールにトーションレースの春物のマフラーを首に巻いて、薄いくすんだピンクの綿のパーカーを羽織って、足元は濃い焦げ茶のエンジニアブーツ。
背中の半分まである長い髪は頭のてっぺんでルーズにふわふわのおだんごにする。
春っぽいし、私らしい。
父は
「ああかわいい。ほんとに冬子はママに似てかわいらしい。ああかわいい。」
と抱き着いてくる。
抱き着き一家。
それじゃあ行ってきます、と告げる私に母が、待って待って!とバタバタとキッチンからやってくる。
紙袋を手渡される。
「何これ。」
手土産なのはわかるが、中身が気になる。
「紅茶。フォートナム&メイソンの。」
「ありがと。」
パパとママが玄関まで見送ってくれる。
駅までの道を歩く。
気を抜くとスキップしかねない。
待ち合わせの本屋に着く手前で後ろから声をかけられる。
振り向くと会長がいた。
「会長!おはようございます。」
会長は眼鏡フレームに手をかけながら言う。
「おはよう。やっぱり君だったか。」
とちょっと安心したような顔で答える。
私は首をかしげ言葉の真意を探る。
「いや。学校でのイメージと私服のイメージが少し違ったものだからな。」
行こうか、と言って会長は歩き出す。
学校での私のイメージって…?
会長の隣を歩きながら、気になって考え込む。
「どうした?」
無言になった私に会長は私の顔を覗き込む。
突然の会長の顔のアップに私は思わず赤面してしまう。
「え?あ、いや。私の学校でのイメージってどんななんだろうって…」
あんなに必死に考えた今日のコーディネートは私には他人から見たら似合ってい
ないのだろうか、と不安になる。
「君の学校でのイメージは…。」
会長は少し考える。
「子供に囲まれた迷子の仔猫、と言ったところか。」
「はあ?何それ!」
ほら、そういうところが、と会長は笑う。
「気が強くて、素直に撫でられることはできない。できないのではないな。撫でられる気がない。しかし、いつ捕って食われるかと内心はビクビクしている。」
どうだ?という顔で会長は私を見る。
「仔猫かどうか、気が強いかは置いといて。…ご明答です。」
ははは、と会長は軽く笑って続ける。
「だから淡い色を重ねるのではなく、はっきりとした色を着るタイプかと思って
いたんだ。」
なるほど。確かに、強い色は自分を守る鎧になる。
「だが、しかし、何と言うか、その、…悪くない。」
ん?その言葉の意味がわからないという顔で会長を見ると、会長は少し顔を赤ら
めて言う。
「その淡い色の組み合わせは、君にとても似合っている。」
会長は頭をかきながら続ける。
「もう少し、気の利いた言葉が言えればいいのだが。」
言い終えるころには会長の顔は真っ赤だった。
「ありがとう。」
お礼を言う私まで真っ赤になる。
無言で歩く。
なんだかこのちょっと気まずい感じも心地良かった。
家に帰ると、めずらしく父も母も家にいた。
そう言えば、パパは月曜日から出張だったっけ。
「おかえり!」
ママがバタバタとスーツケースに荷物を詰めながら言う。
「ただいま〜」
「ママもロンドン一緒に行くの?」
「行く。だってパパ、ママがいないと何もできないじゃない。あと、パーティーがあるから。」
「何日間?」
パパ、何日間だっけ〜?とパパに聞く。
イギリスにいた時も、パパは度々出張で家を空けた。
それにママがついて行くことも珍しくはなかった。
一人でご飯も作れるし、洗濯もできる。
一人になるのが淋しいんじゃない。
パパとママがイギリスに出張で行く、と聞いた時から軽いホームシックにかかっている。
「ん〜?10日間予定だなー。延びることはあっても縮まらんなー。」
冬子〜!とパパが抱きついてくる。私を抱きしめたままパパは聞く。
「お土産何がいい?」
「テリーのトワイライト。いっぱい。」
「了解。冬子、ほんとあのミントチョコ好きだな。あとは?」
うーん、と考えるふりをする。
お土産なんていらない。
私も一緒にロンドンに帰りたい。
そう言いたいのをぐっと堪えて、話を変える。
「あ!今日ね、生徒会長さんにデート申し込まれたの!」
パパは一瞬驚いて私を見る。
「デートというのは冗談なんだけど。会長さんのママのお仕事が着物のデザイナーだかなんだかで、明日会長さんのおうちで夏物の撮影があるから、着物見たいならくれば?って!!」
きもの〜??!とママがスーツケースに一度しまったものを全部出して入れ直そうとしながら聞く。
「うん。私、着物ってちゃんと見た事ないし、着た記憶もないかも、って言ったら、見においでって。だから行ってくるね。」
じゃあ、おしゃれしなくちゃね!とママは荷物と格闘しながら言う。
このドアが。このドアが本当に重い。重く厚い。ドアをノックしようとした姿勢のまま、ため息をつく。
「これまた随分と大きなため息ですね。」
ふいに頭の上から声が降ってきて、私はギクリと身をすくめる。
綾川先生は私の頭1コ分以上背が高い。
「ごめんなさい…」
思わず謝ってしまう。
「よしよし」
そういうと先生は、私の後ろに立ったままドアを開け
「さあ、どうぞ。お姫様。」
と笑顔で私を準備室の中へと促す。
地獄の時間の始まりだ。
一対一の補習授業。わからないは通用しない。
先生は、ダメ生徒の私に一つ一つ丁寧に説明してくれる。
1時間の補習は毎回あっという間に終わる。
私の出来が悪いせいでページは遅々として進まない。
申し訳ない気持ちにもなるが、こんなに丁寧に教えてくれる先生もなかなかいないし、素直に感謝している。
「今日の授業中…」
うわ、キタ。
「随分と気持ち良さそうに微睡んでいましたね。」
口元は笑っているが、目は笑っていない。
「私の授業で居眠りをしようなんていい度胸です。」
「ごめんなさい…。」
ここは言い訳などせずに素直に謝るほうが得策だ。
「冬子くんは私に謝ってばかりですね。」
クスリと微笑みながら言う。
「こんな出来の悪い生徒にわざわざ補習の時間を作ってもらってる上に、授業中寝そうになるなんて、本当に」
ごめんなさい、の言葉を飲み込む。
先生は頬杖をついて、楽しそうに私を覗き込んでいる。
「出来が悪いことはありませんよ?小テストでも8割は下らなくなりましたし。」
それに、と少し考えたような面持ちで続ける。
「もう少し、肩の力を抜いてもいいと思いますよ?」
思いがけぬ言葉に、先生を見る。
「うちの学園はちょっと独特の空気がありますから、わからないこともないのですが…。もう少し、学園生活を楽しんでもいいと思います。」
先生の目には、私はそんなふうに映っていたのか…。
「…。なんか、難しいんですよね。これが普通の高校ならもうちょっと馴染めたのかもしれないんですけど。やっぱり、中学から下手したら幼稚園からずっと一緒の人たちのなかに入るのは、自分でもどうしたらいいのかわかりません。無理に入り込んでお互い違和感と気まずさを感じたままいるなら、一人のほうが楽ですし…。」
先生は立ち上がって、準備室についている小さなキッチンに向かう。
コーヒーをいれる香ばしい匂いが、準備室を包む。
先生はコーヒーをゆっくり丁寧にドリップしている。
窓からは、夕陽になる前の淡い太陽の光が射し込んでいる。
空気中に舞うほこりがキラキラと太陽の光に反射する。
「はい。どうぞ。」
先生は私の机にコーヒーを置く。
「ありがとうございます。」
甘く香ばしいコーヒーの香りが鼻腔を抜けていく。
先生は私の向かい側に座り、片手で頬杖をつく。
「そうですね。冬子くんの性格ですと…。確かに大勢に気を使って群れるよりも、一人のほうが楽でしょうね。」
ふわりとした笑みのまま、先生は応える。
「よくないとは自分でもわかってるんですが…。」
ふふ、と先生は笑う。
「私もあまり人のことを言えないのですが。一人は楽ですが、友達と過ごす高校生活というのは、一生のかけがえのない宝物になりますよ?まあ、別に友達でなくてもいいんですが。」
友達でなくても?
私が首をかしげると先生は
「例えば、ボーイフレンド、とか。」
ああ。ボーイフレンド。
「もしくは、先生、とかね。」
コーヒーを飲み込み損なって咽せる。
涙目で咽せる私を先生は楽しそうに見る。
「私は、そんなに魅力がないですか?」
本気とも冗談とも似つかない声。
「魅力がなかったら、あんなに毎日生徒に追いかけられないでしょう?」
私は半分咽せたまま応える。先生はいつも女子生徒に囲まれている。憧れの綾川先生。
ふふ、と意地の悪い目で私をまっすぐ見て、先生は言った。
「あなたにとって、です。」
「はあああ??!」
わけがわからない。
先生は頬杖をついたまま私を見つめている。
先生は私をからかっているのだ。
どうやってもうまく学園に馴染めずにいる私を。
リラックスさせようと。淡々と過ぎてしまう学園生活にスパイスを、と。
冷静なもう一人の私が出てきて、はっきりと先生に言う。
「先生は…。『教師』という仕事を楽しんでいます。だから、生徒とどうにかなって自分の職を危うくするようなことはしません。適度に憧れさせて、生徒全体の学力を上げているんでしょう?それに、先生は…」
先生は私を見つめたまま、黙って聞いている。
「先生は、どう見ても、年下ではなく、年上が好み、だと思ってたんですが。」
あはははははは、と笑いながら先生はコーヒーを一口飲む。
「なかなか鋭い洞察力ですね、冬子さん。」
楽しそうに笑う。
「でも…」
先生は思案気に私を覗き込む。
「私だって、理性を失うことがあります。」
それは、真剣な眼差しで、面を食らってしまう。
こんな茶番、先生はよく演じるのだろうか?
イマイチこの先生の真意がつかめない。
「先生。ご心配されなくても、先生が続けてくださる限り、補習は受けます。よく理解できていない部分は多いですが、先生の期待に応えられるように、次のテストも頑張ります。そんなふうに、気を使ってくださらなくても、不登校にはなりません、私。大学には行きたいですから。」
先生は、ふう、とため息をつく。
「なかなか手強いですね、冬子くんは。」
やはりからかっていたのだ。こんなやり取りで真に受ける生徒は多いだろう。
「あなたのことをもっと知りたくなってきました。」
全くこの先生は。遺伝子レベルでプレイボーイなのだろう。
疲れる。
はいはい、と適当に流す。
「今日もありがとうございました。」
と話を切って、荷物をまとめる。
「そうだ。冬子くん。今度私とデートでもしませんか?」
まだ言ってる。
「さっそく、明日なんてどうでしょう?連れて行きたいところがあるのですが。」
強引にもほどがある。つれなければつれないほど燃えるタイプなのか?この先生は。
「先生。お誘いは大変光栄ですが、あいにく、明日は予定が入ってます。」
会長の家に行くのだ。
「明日の予定は、夜、ではないのですか?夜までにはきちんと帰しますよ?」
まだ食い下がる。
「いいえ。昼間も予定が入ったんです。」
そうですか、それは残念です。
本当に残念そうな顔をしている。
私はそんな先生の表情は無視をして、ドアにむかう。
「ありがとうございました。さようなら。」
先生も立ち上がって、ドアに向かう。ドアに手をかけたまま私に覆い被さるように先生は私の耳元に唇を近づけて言う。先生の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。グリーンノートをベースにシトラスや花の香り、それとコーヒーが混ざった匂い。
「あなたのこと、本当にもっと知りたいです。」
先生の想定外の行動に私は耳まで赤くなってしまう。
「さようなら!」
「はい。さようなら。」
先生はドアを開けてくれる。振り向かずに廊下を歩く私にきっと手を振っているのだろう。
午後の授業は綾川先生の授業。
気が重い。
転校してきてからずっと、放課後に補習を受けているが、現国は何にしろ、古文は全くもってのちんぷんかんぷん。
何?ありおりはべりいまそかりって。何の呪文?けけくくるくれけよって。
それでも教科書を読み上げる先生の声は心地よくて、心地よくて、…眠くなる。
ガンッ!
「…った!」
「シッ!」
足を蹴られた。
寝そうになっていた私に隣の席の生徒会長が蹴りを入れる。
涙目で会長を見ると、会長は顎で前方に注意を促す。
その先を見つめると、チョークを今にも投げそうな先生が私を見ていた。
(…スミマセン)
私は小さくなってアタマを下げる。
アタマを下げたまま会長の方を見て、両手を合わせて
(アリガト)
と声を出さずにお礼を言う。
会長は
「ふん。」
とニヤリと笑って、何事も無かったように授業に集中する。
放課後に、生徒会に向かおうと荷物をまとめている会長をつかまえて、綾川先生の授業の時のお礼を言う。
会長は何でもないような顔をして言う。
「目立ちたくないんだろう?」
この人はわかってるんだ。私の立場や、私の気持ち。
生徒会長の草間くん。
転校してきてから、何かとお世話になっている。
真面目を絵に描いたような人かと思いきや、眼鏡も髪型も持っている小物もさりげなくおしゃれだ。
「会長って、おしゃれだよね。」
何気なく私が言うと会長は
「…ああ、そうか?母の実家が呉服問屋で、母も現代人に合わせた着物のデザインやら小物のデザインをやっていて、小さい頃から色合わせだけは厳しく躾けられたんだ。『この色とこの色、ほんとうに合うと思うの??』なんてな。」
「ええ!すてき!呉服問屋なんてすごい!私、着物なんて写真でしか見たことないかも…。」
七五三の3歳の時は記憶にないし、7歳の時はすでにイギリスにいて、着物は着ていない。
「そう…なのか。ならば、こんどうちに見にくるか?ああ。明日の日曜日のお昼過ぎ、時間はあるか?」
用事があるのは夜からだから、昼間は空いている。
「うん。お昼から夕方は空いてるけど…?」
「じゃあ家に来るといい。」
「へ??!」
え?何?いきなりデートのお誘い?
「夏物の撮影が自宅であるから、大量の着物を見られるぞ。」
なんだ、デートのお誘いではないのか。
でも、たくさんの着物を見られるなんてそれはとても素敵なお誘いだ。
「行ってもいいの?撮影なら部外者は邪魔なんじゃない?」
部外者の疎外感。そんなものは学校だけで充分だ。
「ああ、構わない。母はにぎやかで華やかなことが好きなんだ。ギャラリーが多ければ多いほど燃えるタイプだからな。」
私が邪魔ならば、彼は最初から誘わないだろう。
「ありがとう!お言葉に甘えてお邪魔させていただきます。ほんと嬉しい…」
「じゃあ、明日。11時に駅前の本屋の前で待ち合わせよう。昼飯はうちで用意してあるから。」
「うん!」
私は思わず満面の笑みで答えてしまう。
休みの日に同級生と合うなんて、日本に来てはじめてのことだ。
教室のドアのところでニヤリと笑った会長が振り向いて、頬杖をついて明日のことを考えている私に言う。
「今日の補習は厳しそうだな。」
…。
「…はあ」
一気に現実に引き戻される。
もうこんな時間。急いで国語準備室に行かなければ。
行くのが遅くなれば、それだけ帰る時間も遅くなる。
私も荷物をまとめて国語準備室に向かう。
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